お腹が痛いのは君のせいじゃないと言ってやりたい。
コンプレックス。
誰しにもあるものだと思います。
こんにちは、コンプレックスの塊、私です。
皆さんにも何か苦手だなぁと思われることなど、あるんじゃないかと思います。
というか、あると信じたいです。
私は苦手や不得意だらけの人間ですから、これで皆さんには何もなくて私にだけあるとなったら、もう絶望です。誰とも仲良くなれる気がしません。
そうなったらコンプレックスだけが友達です。コンプレックスと仲良く生きていきます。コンプレックスがいてくれて良かったです。ありがとうコンプレックス、これからもよろしくお願いします。
はい。
私は小学校の頃から鉄棒が全然できませんでした。
他の運動は割と楽しく何でもできるのに、鉄棒だけは要領を得ることができませんでした。
基礎的なことができなかったのです。
つまるところ、
「前回り」ができませんでした。
逆に他の運動が苦手な同級生たちが、鉄棒で驚異の運動能力とセンスを発揮したりして、私は己が人生の終焉すら感じました。
10歳くらいの私は派手に悩みました。
「前回りもできない人生なんて、価値がないんじゃないのか…?
…あれ?
というか
そもそも私に価値なんてないんじゃないか?」
いまだったら、そんなことはないんだぜ!👍と力強く言ってやりたいところですが、当時の私は繊細でした。
体育が鉄棒の度に悩み、お腹が痛くなりました。お腹が痛いと余計に鉄棒がやり辛くなります。悪循環もいいところです。
お腹が鉄棒に触れると痛いので、お腹が当たらない技だけやるようになり、結果的に「飛行機飛び」だけやたらと上手くなりました。
担任の先生にも「お前の飛行機飛びは一級品だな!」と言われるくらいの得意技になりました。
しかし、いくら「飛行機飛び」が上手くても、いくら「飛行機飛び」が一級品だとしても、「前回り」ができないことに変わりはありません。
『鉄棒は苦手』
私は遂に鉄棒が苦手という意識を克服できないまま小学校、中学校と進み、歳を重ねていきます。
そして、先日。
ついに流れが変わります。
天気が良かったので近くの公園に散歩に行きました。
晴天の下、子どもたちが元気に遊んでいまして、とても気持ちがよかったです。
そうして少し広めの公園をしばらく歩いて、
公園の端で待ち構えていたのが、
ヤツでした。
鉄棒(三つ横並びタイプ)
因縁の相手です。
やはりヤツは私を待っていました。じっと待っていました。
きっと私が小学生の頃から、そう、鉄棒が苦手だと認識したあの日から、ヤツはここで待っていたんでしょう。
どっしり構えるとはこのことかというくらい、どっしり構えていました。
私はもうその堂々たる鉄棒の佇まいから目を逸らすことができません。
目を合わせてしまったが最後、闘うしかないのが決闘者(デュエリスト)としての運命(さだめ)です。
「鉄棒という名の過去の自分に打ち勝つには、今ここでお前を倒す(前回りを成功させる)しかない。
鉄棒!!!!
決闘(デュエル)!!!!!!」
私は心の中で叫びました。
そして周りの子どもたちの邪魔にならないようにササッと鉄棒に近付き、
鉄棒に手を掛け、
前周りに挑戦し、
そして、
できました。
それはもうなんだかあっさりできました。
過去の記憶が間違っていたんじゃないかというくらいあっさりできました。
不思議な話です。
当時はあれだけ悩んでいたのに、今は散歩のついでにできてしまうんです。本当に驚きました。
こうしてあっさり私は過去の自分(鉄棒)を乗り越えることができました。
よかったです。
しかし、
「飛行機飛び」はできなくなっていました。
残念です。時の流れとは残酷です。何かを得れば何かを失ってしまう。
身体が大きくなってからやる「飛行機飛び」はとても怖かったです。よくこんな恐ろしいものを得意技にしていたなと、過去の自分を少し褒めてやりたいくらい怖かったです。
それに今思えば、「前回り」ができずとも「飛行機飛び」ができたなら、恐らくそこまで鉄棒苦手ではないです。自分で思い込んでいただけなのかもしれません。全く、恐ろしい話です。
ということで、
今度は再び「飛行機飛び」を自分のものにできるように頑張っていきたいです。
そんな、なんでもない先日の出来事でした。
いやはや、今週は何もまともなことを報告できませんでした。
また来週、手紙を送ります。
「飛行機飛び」ができるようになったらちゃんとお知らせします。
では、